島水防団の成り立ち
現在の水防団の始まりは、戦後、各地における水害に備えて、政府は昭和24年6月に「水防法」を公布し、8月からこれを施行したが水防団の結成には至りませんでした。
戦後の混乱が一段落した昭和30年代に入り、洪水の氾濫と闘ってきた島地域の住民は水防の必要性をいち早く痛感して岐阜市内でも早く昭和31年7月1日に島小学校講堂において創設されました。
岐阜市では岩野田水防団に次ぐ二番目に現在と同じ9分団に編制されました。
結成当時、島水防団の定員は189人で島消防団全員(定員51人)が、水防団を兼務していましたが、次第に水防団は水防業務の進展にともない、消防団は消防業務に専任することになり、昭和42年3月31日をもって島水防団と分離しました。
昭和49年から島水防団の定員は191人で岐阜市水防団(現在の定員は1624人)の最大の水防団員を擁する水防団です。
島水防団による釜段工
島水防団による杭打ち積み土嚢工
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